エンディングノートを必要と思う理由
エンディングノートは義務ではありません。
では近年、なぜエンディングノートという言葉に光が当たってきたのでしょうか?
そしてエンディングノートは書いた方が良いけれど書く暇がない、何を書けばいいのか分からないと言われます。
目次
何故、エンディングノートは書けない人が多いのでしょうか
エンディングノートを買っても書けずにそのまま片付けてしまったとか、机の上には置いてあるのだけれど開く気が起きないという話をよく聞きます。確かにページを開けばこと細かく項目が並んでいます。
そこに一つ一つ書き込めばよいのですが、私のところに来る方からも、それが出来れば苦労しないですとよく言われます。
エンディングノートのページを開くと、金融機関などの事が主立ってあるため、いきなり数字の羅列を記入することが多いです。
そこで、書く気がまず萎えてしまいます。
実は私も、書けなかった1人です。随分前にかれこれ15年以上前に買った覚えがありますが、それは書けませんでした。
皆さんと同じようにとても難しく感じ、手が進みませんでした。
だいたいどこのエンディングノートも同じような感じです。
では、書けるエンディングノートはどのようなものでしょうか。
自由に書ける、決まった形がないなどリンクに詳しく書いてありますのでこちらをご覧ください。
エンディングノートの意味
エンディングノートというと固い感じ、書かねばならないと言う堅苦しさが感じられます。
そう思う前に考えていただきたいことがあります。
エンディングノートは法的効力はありません!
そうです、法的効力は一切ありません。これだけでも気が楽になりませんか?難しい法的な言葉など必要ないのです。
あなたの言葉で、大切な人たちに残したい言葉を書けばいいのです
時々お聞きします、遺言書と意向書(今で言うエンディングノートですね)が同じ封筒に入っていたと、これがあったら、あんなに悩んで家族会議を開かなかったのにと言われます。
そして、故人の思いである意向書がすべて終わった遺言書公開時に知った時、後悔しませんか?
エンディングノートにはあなたの希望や思いを書かれるといいと思います。
あなたが本人確認できない状態になった時、もし延命処置が必要な場合は「延命処置をして欲しいのかして欲しくないのか」「延命処置はしなくても痛みを取りながら残された日々を送る緩和ケア」や「しっかり延命処置をして欲しい」など意思表示をしていかないと残された家族や大切な人は迷うばかりです。
「介護の仕方」「どこで亡くなりたいのか」「葬儀の希望」「お墓」「財産分与」などを思い浮かべる方も多いと思いますが、「ご自身の自分史を知って欲しい」など親が大切な人がどのような人生を送ってきたのかを知る機会も少ないと思います。
ご自身がどのような人生を送ってきたのかを残して行くのも家族として嬉しいものではないでしょうか。
私は亡くなった父の思い出はものごころついたころ、私の子供が出来た時、後は介護状態になった父のことしか覚えていません、後の父の思い出は母から聞いて知った父の思い出しかないのです。父が自分史を書いてくれていたら、今の父への思いがもっともっと増えていたのでしょう、
真面目で温厚で優しい父のイメージでしかありませんが、頑固な父、キツイ父など違った面も思い出として残っていくのでしょうね。
残していく家族に、どんな人生だったのかを伝えていくのも大切な大切なことだと思います。
エンディングノートへの思いとまとめ
私も数年前クライアントさんから突然電話が入り「延命処置の判断を迫られていますどうしましょう」とお電話がかかってきたことがあります。「その方は延命処置を選ばれました、そしてお母様は緩和ケア病院に転院され」静かに過ごされお元気になってきたと安心された声で報告があり、その後は分かりませんがお母様がご健在でしたら88 歳になられていると思います。
ご本人の意思が分からないと家族は家族会議をしなければなりません、実家の母は今現在元気ですエンディングノートと言う言葉は慣れないせいか、「延命処置」「キャッシュカードの場所」「葬儀の希望」「生命保険」などを書いたノートを作っています。
それでも、その状況になったら困る事が出てくると思います。
その時に何を優先するのかは、エンディングノートに書かれていることになるのだと思います。
すべてがエンディングノートを書かれたご本人の希望道理になるとは限りませんが、その存在があるのないのとではいろいろなことが違ってくるのです
エンディングノートは法的効力は有りませんが書くご本人の希望と意思が反映されているのです。
そして、いままで「ありがとう」と感謝の言葉が入っていると思いませんか?