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要介護者の尊厳を考えたことありますか?

介護をしていると介護に疲れ果てて、要介護者の要介護状態になる前の考え、要介護状態になった時の事、延命治療はどのように希望するのか、葬儀のやり方、亡くなる前に会いたい人など、介護状態になる前に希望を聞いていくことが大切なのです

目次

義母との介護の闘いの中で義母の尊厳を考え始めたきっかけ

高齢者の尊厳とは、正直介護者として携わっていてもも尊厳ということを考えたこともなかった頃があります。
毎日、毎日介護に振り回され、仕事をしている時が安堵の時間だったこともあります。
家に帰りたくない、帰れば義母がいる仕事の時間が続けばいいなと思っていたくらいでした。

嫁いびりされ続けた長い年月、認知症になっても暴言や嫌がらせなどおさまることはありませんでした。それに対して相談しても回答なんてないのです大変ねと言ってくださるだけでした。

忘れることを忘れていることが、だんだん多くなっていく義母に何かもやもやするものが大きくなっていくのでした。

考えても介護の辛さで考える余裕もなっかたのも事実です、その辛さとこの先どうなっていくのか、その不安を抱えおまけにわけの分からない、もやもやを抱えなががら義母の介護は続いていました、私の都合で週に何度か義母をデイサービスに送っていくことがありました。

そして、デイサービスの法人内の有料老人ホームに入所してからもデイサービスに通所していることもあってケアマネさんとの月に一回のケアプランの説明を受ける時もデイサービス内でケアプランの説明を受けに行っていましたが。

ふと気が付いてことがあるのです、スタッフさんの義母に対する言葉使いです。
もちろん全てのスタッフさんではなく1人か2人ですが、気にはなります。
まるで小さな子に話しかけるうような話し方でした、一瞬「は?」っと思ったのです、子供にというより赤ちゃんに話しているみたいだなと思ったのです。

確かに、認知症になり物事の理解も出来なくなりつつある認知症ではありますが赤ちゃんじゃない! あなたよりずっと長いこといろいろ経験して生きてきた人生の先輩だよ?赤ちゃんあつかいなんてとショックを受けた覚えがあります。

クライアント様の中にも「母・義母・父・義父」に赤ちゃんに話すような話し方をするスタッフさんがいるんですとおっしゃる方がいらっしゃいます。

その時に思ったのです、人ってどこでどう言葉使いとか接する態度って変わっていくのだろうと思い始めました。
せめて対等に話せないのかな?敬語でなくても普通に接する話すことが人としての大切なことではないのでしょうかと思ったのがきっかけです。

私は嫁です、長年嫁ですから言葉は介護のイライラでキツクなっていても義母に対し赤ちゃん言葉は使っていなかったのです。

人としての尊厳はどのように守られていくのでしょうか

高齢者・要介護者の尊厳についてお伝えしたいと思います
聞いたことはあると思いますが改めてお伝えしたいと思います

介護保険法の総則では、「加齢に伴って介護が必要になった時要介護者の尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付をおこなう」と条文中に明記されています

では、要介護者及び高齢者の尊厳とはなんでしょうか

尊厳とは、個人の人権を守ることに大きくかかわってきます



利用者の家族として感じたことは認知症だからと言って、幼児にたいして使う言葉を

80歳を超えている人に使うってどうなの?と思うのです、高齢者なの赤ちゃんじゃないのと何度思ったでしょうか

散々手こずってもう解放してよと思い利用したデイサービスや施設ですが80歳過ぎている人に対して使う言葉のだろうか?と思いました

スタッフさんは悪気はないと思いましたが、嫌な気持ちになったことは忘れていません
利用者の家族がいるまえで「上から目線」の方はいらっしゃいませんでしたが

亡くなった父が療養病棟に入院していたころ、もう父は言葉を離すことはできませんでした
面会に行くとぶつけたり転倒したりした報告がないのにあざが出来ている事が時折ありました

これは質問しても答えが返ってくることはありませんでした悲しかった思いの一つです

義母に対しても敬語を使って欲しいとかではなく日常会話のように会話をして欲しいと思う事がありました

排泄介助や入浴介助・居室での着替えの際他の利用者から見えないような配慮を心がけくださっていた
デイサービスや施設には感謝でした

そして拘束ですが、有料老人ホームなどは基本拘束はありません

人権を損害するものであることも理由の一つになっています

病院などでも、拘束する時は家族のサインが必ず必要でした亡くなった父も義母も入院が結構ありましたので何度サインしたでしょうか自分が鬼になった気分でしたね
介護職の方は

・思いやりを持つ
・周りをよく見る
・目標、向上心を持つ
・前向きに取り組む

このことを大切にするレクチャーなどを受けるそうです

高齢になっても、その人らしく尊厳を持って施設や自宅で自立した日常生活が送れるように支援や介助をすることが大切でしょう
たとえ、認知症や寝たきりになっても、個人の尊厳やプライドを守りながら、その人に合わせた介護していくことが重要です

私達、家族も高齢者や要介護者についての尊厳を考えてみて欲しいです

高齢者の尊厳を守る意味と方法

高齢者の方が、終活と言われる年齢になってきても今までの時代はあえて触れないことが普通でした、でもそれがその人の考えであったでしょうか?
自分自身が分からなくなってしまったとき、家族はどうするのでしょうか本人から何も聞いていない、どこで住みたいのか施設に入所してもいいのか最後まで在宅を望むのか、延命治療はどうするのか、葬儀はどのような形を望むのか、葬儀には誰を呼んで欲しいのか、お墓はどうするのか家族が一切知らないと、その人の望みも叶えることができません。

本人がどうしたいのか、認知症・意識が無くなってしまったとき、その人の人生そのものを振り返ることができないことが多いのです。言葉に発していても本心は分かりません。

例として私の母は今独居で元気で暮らしています87歳ですが、昨年悪性リンパ腫が見つかりましたが「限りなく悪性でない悪性リンパ腫だそうです」高齢者ということもあって治療は何もなく月に一回の血液検査と診察、半年に一回のペット検査です
ペット検査とは、簡単に言えばがんを発見する診断法です。
これを浮けることで現在何も治療もせず元気にくらしています、これがもっと若かったら放射線治療、抗がん剤治療だったのでしょうね。

この経緯は母が何かが口の中にあると、いつもの歯科医院ではなく友達に聞いて違う歯科医院に行き、岐阜総合医療センターに紹介状を出してもらい受診し分かったのです。

普段は癌などが見つかってもも何も治療はしない、延命治療はしないと豪語しておりますが内心は生きるということにしっかり意識していることがわかりました。

普段言っていることと違うと実感できました、結果が出る2~3ケ月妹と母に振り回されました。
でも、母の思いも大切にしたいと思います、これから続いていく母の癌の様子見は母の意思を守ることなのです。

これに対し、義母は今90歳です、今年から要介護5になりました、どう生きていきたいのか何も知らないうちに認知症になってしまいました。
本来はどう生きていきたいのかと義母を見ていて思うこことが多々あります。
嫁いびりされ続け認知症になっていき、持って行き場のない私の気持ちを「ボケ逃げ去れた」と言っていたこともあります。

そんな仲の良くない嫁姑ですが、最低限の義母の尊厳を守りたいと思う現在です。

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