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コロナ禍の前と現在義母の骨折・入院の違い

2019年7月に義母は施設で転倒し骨折・入院しました。そして2022年3月20日にまた転倒、骨折・入院しましたがコロナ禍の前と現在の違いをお伝えします

目次

2019年7月20日認知症である義母が施設で転倒し骨折した日

2019年7月20日義母が入所している施設から着信があり、かけなおすと
「お義母さんが転倒し、もしかしたら骨折しているかもしれません、どうしますか?」と電話がはいりました。

内心では、どうするかって施設に入所した時、緊急対応などの書類に、
岐阜総合医療センターに救急搬送希望にサインしたはずなのになぜ聞かれるの?と思いました。
毎年規約が変わる度にサインしていたのに、「どうしますか?って」と電話を受けた時に何故?となりますよね。
その時、義母の面会のために施設へ向かっていたので、すぐに到着し、説明を受け救急搬送を希望し電話をかけてもらいました。

あくまでも利用者の家族の希望で搬送したと言うことになります。
ただ、今まで書類にサインをしてきたのは何のため?と今でも心にしこりは残っています。

そのしこりに拍車をかけている要因に一つが転倒した時の証拠の動画でした。
音声も何もない動画でしたが、ソファーで居眠りしている義母が立ち上がり歩きだし転倒したところまでの動画でした。

解釈のしかたは人それぞれですが、私が見た限りでは声をかけられ足元が及ぼつかない様子で歩きだし、テーブルに手をつき損ねて転倒したと感じました。

誰も支えてはくださらず、転倒した時も誰も駆けつける様子は見られませんでした。
それに対しての説明もありません。救急車を呼びますか?それだけです。
何だか、胸にもやもやが残ったままで救急車で搬送し入院し手術をしたのでした。

2019年の骨折、入院の壮絶な思い

この骨折、手術、入院、リハビリは私の心が折れた日々でした。

このころはコロナなんて知りもしない日々でした。
入院した日からほぼ毎日仕事は休み、昼食前から夕食後まで10日あまりを毎日通う日々でした。

もうそのころ認知症はかなり進んでおり、思い返せば一番行動や思考が大変な時期でした。
トイレに行きたいとずっと言い続ける日々でありましたから入院したからと、その思いが変わるはずもなく、トイレに行きたい動くと痛い、「どうして痛いの?」「骨折したからでしょう」この繰り返しでした。

痛さで思うように動けず、トイレに行けない腹立から噛みつかれる叩かれる抓られると言う毎日でした。
そして、車椅子に座っていても拘束され「助けてください、この人がこんな酷いことするんです」と大声で叫ばれました。

もう私は限界でした、心が折れたのです。在宅介護をしていたころに介護うつになったことも思い出しました。

夫に涙ながらに「もう病院に行くのは無理代わってほしい」とお願いし行ってもらいましたが夫は1回で逃げました。

毎日、病院で付き添てやっていたことは、食事の介助、トイレの介助(紙おむつにかえ途中からは亡くなりました)、薬の服用、義歯の洗浄、リハビリ後の車椅子での散歩などでした。

夫は1回も出来なかったのです、心が折れながら退院まで頑張りました。

そして、リハビリ病院の転院の見学や決定日にち決めたり転院先の相談員さんとの面会も全て自分自身で動かなければなりませんでした。

2019年の退院の時の支払い金額の驚き

10日入院ですが、入院した日、退院の日も時間に関わらず金額は発生します。
朝、病棟に行き書類をもらい会計に行き、支払金額の提示は26万5千円でした。

高額医療限度額の申請の事を後期高齢者医療保険に問い合わせた時、収入が高額のため対象になりませんとは聞いていましたが、金額は退院するまで分かりませんでした。

確かに、2年ほど前に義母名義の土地を売却して一時的に収入はありましたが、裁判費用や取り壊し土地の整地等の手続きでその収入なんてほぼ残っていないのに3割負担がその骨折した月までだったのです。

え?何その金額と思いました。
そして会計手続きの方も「高額医療費限度額に申請していらっしゃいますか?」と聞いてくださるほどお互いがビックリしたのを覚えています。

その頃はCSセット(今に比べて対象となるものが少なかったと思います)と持ち込のリハパンツと尿取りパットなど日用品などを入れると30万円くらいでした。
10日あまりの入院と手術でその金額でした。

その後8月からは1割負担に戻り、どうして骨折するなら8月になってからにしてくれないの!と思ったことを覚えています。

そして2022年3月20日の転倒骨折で手術、入院

そして今回2022年3月20日の夕、施設から着信がありました。何かまたやらかした?と一瞬嫌な気がしました。
案の定、談話室の車椅子の横に転倒しています。これから病院に運びますので来ていただけますか?と連絡を受け法人内の病院に夫と駆けつけました。

やはり、骨折していて先回とは反対の足でした。
地域連携病院にもなっており、希望も岐阜総合医療センターにしてありましたから、当直の先生が連絡をしてくださり情報提供を書いてくださり薬も用意してくだいました。

救急車には私が同乗し、いろいろ聞かれました。高齢者が何人もいた家です同乗者として救急車に乗るのは何度目だろうと考えたりしていました、またやっちゃたのねと思っていましたから案外のんきなものでした。

しかし、コロナ禍の救急受け入れは時間が並大抵なものではく、義母もPCR検査をされ19時30分くらいに病院についたのですが主治医の話を聞けたのが23時過ぎ、病棟に上がれたのが午前0時くらいでした、義母とは病棟を上がったところで面会禁止になり談話室で何枚もの書類を書き帰ったのは1時過ぎでした。

次の日も書類の不備で行き談話室で書き、そして22日手術でしたが、
コロナ禍で手術も受け入れ病院として混み合っていて義母の手術時間も二転三転し私は15時に行き、帰宅は20時過ぎで5時間拘束されました。

それでも、義母との面会は手術室に運ばれていくときに、ほんのちょっと廊下で会い終わってから廊下でまたちょっと会い執刀医に説明を聞き終わりです。

病院の相談員さんも手術の待ち時間に会い、お話も先回で分かっているのとコロナ禍で会えませんとの説明で終わり。

私は毎日、体温を測り体調チェック記入しただけ。
今回3月20日の深夜に入院し、退院が4月7日に退院までに時間がかかったのは受け入れ側の準備が整わなかったことだけらしいです。

今回はこんなに楽させてもらっていいのだろうか、看護師さんに申し訳ないなって思いました。
先回あんなに心が折れたのに、今回コロナ禍で面会は一切できなかったので気には何りましたが楽をさせていただきました。

今回も入院費に驚きました

退院日の朝、退院手続きに来てくださいと言われた時間に行き覚悟はしていましたが、やはり
待たされましたPCR検査結果がでるまで待ちでした。

そして病棟の看護師さんから今回は支払い金額を記入した用紙を受けとり驚きました、今回の支払いは1割だけど17日?18日?いたのだからと前の3分の一よりは高いよねとお金も準備してたのですが、えっと3万5千円???どうしてと?のオンパレードでした、CSセットとおむつセット合わせても1万5千円でした合わせても5万円です。

安いのはありがたいのですが、やはりビックリ金額でした。

そして今回転院は介護タクシーを使いました、前は病院が迎えにきてくださったのですがご時世で介護タクシーを使いましたがこちらも前もって病院から6千円くらいかもしれませんとアドバイスしてくださってましたが4千8百円となりました。

何だかあれよあれよという間に前とは番ってほとんど病院に行くことなく転院しました。
こちらも、転院した日だけで義母に会うことなく過ごしています。
病院からは義母の様子とリハビリの計画を電話連絡をしてくださり、また支払日にということになっています。

まとめ

2回の義母の骨折から手術、入院についてお伝えしました。
コロナの前は病院の面会は一般は午後2時からと決まっていますが義母のように手のかかる入院患者は時間に関係なく面会と看護をすることは暗黙の了解でした、それは強制でもなんでもありませんが救急病院です、見ていれば薬の飲ませ方ひとつとっても時間節約を嫌でも感じました。

リハビリ以外も脳の刺激になるからと車椅子での散歩もどんどんしてくださいと言われてました。
全てに家族が関わり介護者一人でこなしていくには厳しい現実でした。

今回、コロナ禍の入院で前とは違う様式に落ち着かない気持ちもありましたが、それだけに病院の関係者の方には頭の下がる思いでした。

会えない寂しさを持たれる家族ももちろんいらっしゃいます。
気にならないと言えば噓になりますが考えても仕方がないし、夫や義弟はどう思っているのだろうか病院の先生に終末期、看取りケアについての話が出たことを伝えたのですが、2人が話し合う形跡がないのは困ったものだと思います。

今回、骨折です怪我なので受け入れ態勢もしていただけました、これが脳梗塞など怪我出なかった場合は受け入れてくれる病院は無いかもしれません、ここで看取りになるかもしれませんので可能性ですが、お話をしときますとおっしゃられました。

ご家族が元気なうちに延命処置や我が家のような可能性もある事を話し合っていただきたいと思います。

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