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認知症の終末期の家族のメンタルを保つには

先が見えない介護に何年も続くと介護者は心身ともに疲弊して今します。そして認知症は発症しておおよそ5年~15年と言われていますが、これも人それぞれです。

認知症の進行と寿命

  • 症状の進行に伴い、脳や身体の障害が進んでいきます
  • 認知症の進行を遅らせるには、心身ともに健康を維持することが大切です
  • 認知症になっても自分のやりたいことをあきらめず、笑って生き生きとその人らしく生きている人もいます

認知症の病気別の寿命

  • 若年性アルツハイマー病:約10~15年
  • 若年性前頭側頭型認知症:約7~10年
  • 若年性レビー小体型認知症:約5~7年

認知症の寿命には、さまざまな要因が関係していると考えられており、年齢や性別、身長、病型、症状の進行度合いなど、患者の状態に個人差が見られることは当然ながら起こりうることです。そして環境も大きく関わってくるのではないでしょうか。

義母は認知症で要介護5です。もう何も一人では出来ませんそしていつ亡くなっても不思議ではない状態です、それが昨年の8月から続いています。このことは先回のコラムでも書いていますが今回は介護者であり嫁である私のメンタル部分のもう少し深い部分をお伝えします。

義母は認知症が進むにしたがって意識レベルが上がったり下がったりが結構ありました、こんな状態がもう何年も続いていました正直慣れてきていたのも確かです。

しかし昨年の8月のコロナ感染ではもう回復かだめかと誰もがそう思っていましたが、驚異的な回復力でコロナ感染の後遺症も大して残らず回復しました、もともと丈夫な人でありましたが認知症という大きな壁が義母の体調を狂わせていくのは確かでした、意識レベルが低下するたびにどこのいようが呼び出されました。それが前の有料老人ホームにいた頃でした。そこは転倒骨折で入院して退所しました、こお搬送先での義母の看病もメンタルも心も折れました、夫に代わって欲しいと言っても夫も1回でギブアップでした、もう認知症は相当すすんでいました要介護3の頃です

仕事も前職から今の仕事を立ち上げ慣れない事ばかりでメンタル削って介護者としての立場、そして仕事も一人で手探りでやっていました、よく倒れなかったと思います。今の施設に入所してから3年半でまた転倒骨折でした、救急搬送も全て付添いしなければなりません、コロナ禍でしたので毎日の面会はしなくて良かった、ほっとしている自分がいました。

そして、退院してリハビリ病院に移り今の有料老人ホームに戻ったのですが、この時にいろいろな思いが湧き出てきました楽になっていいんだと罪悪感を感じなくていいのだと初めて思えた時がありましたが、どんどん認知症は進み意識レベルが落ちる事も何度もあり、そのたびに電話が入ります正直いつになったら解放されるのだろうと疲れ果てていた時もありました。

そして昨年のコロナ感染からまた誤嚥性肺炎や、原因の分からない熱発も度々あり内心「またですか、いつになったら解放されるの?」と気持ちがどんどん落ちて行きました夫に言っても我関せずです。

在宅介護でもなく有料老人ホームに入所していて法人内に病院もあり私がすることはほぼないように感じますが

「介護者」この立場である限り、電話はかかり面会には行きケアマネジャーや訪問介護さん訪問看護師の話を聞くのは「介護者」なのです。

「介護者」この立場である人であれば分かっていただけるかもしれませんが、人それぞれ思うことも違います。私は知り合いや友人には愚痴は言いません、苦しくなればケアマネジャーや施設長に聞いてもらいます、それが出来る施設である事に感謝しています。

辛くなった気持ちを誰に話すかによって介護者のメンタルも変わってきます、話した人のアドバイスが受け入れられなければスルーしていいのです。あなたに寄り添う人に話してください。

「介護者」である限り、「いつまで続くの?」「私ばかりが何故?」「私はやりたいことも出来ないの?」「もう疲れている」このことは続くのです、あなたが介護者である以上やらなければならないこともありますが、1人で背負わないことです。

私はカウンセラーです、そして介護者です。だから介護者の気持ちに寄り添える介護専門に特化したカウンセラーになりました。

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