どうしても避けられない、必ず来る「死」だからこそ死生観について考えてください
人の死はそれぞれです、その時にどんな死が訪れるのか分かりません。その亡くなり方をなるべくそのご本人の希望に叶う形にしてあげませんか?それが尊厳死の在り方だと思うのです。
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超高齢化の日本です死生観についてどう考えれられているのでしょうか
高齢化大国の日本です、長寿です。90歳を超えても元気で活動していらっしゃる高齢者の方も多くいらっしゃいます。
でも、神様がすべての命あるものに与えたものは「生」と「死」です。
「死」は避けられません、いかに健康であり食事もきちんとしても必ず来ます、人生100年時代と言いますが確かに長生きになりました。元気で生きられる素晴らしいことです、家の親は元気だから大丈夫介護状態なんて関係ない、認知症なんて関係ないと思っている方も多いのではないでしょうか。
親が亡くなった時、パートナーが亡くなった時、突然のことに呆然として今います葬儀はバタバタします、何がなんやら分からないうちに亡くなって気が付けば49日の法要だったりします。
そして、その時に親はパートナーはどんな葬儀をして欲しかったんだろう、誰を呼んで欲しかったのかしらと思うったときに親の事を案外知らないことも多いのではないでしょうか
そして、最後の看取りはどのようにして欲しかったのだろうと漠然と考えることになる方も多いのです。
私のクライアント様も親御さんが亡くなって、バタバタと時間が経ち、ふっと落ち着いた時に「これでよかったのでしょうか?」と言われる方もあります。
介護が始まると、看取りのことまで話すことはできなくなります、時間も体力も使いそこまで気が回らなくなるのです。
実際、義母が認知症になり始めた頃から要介護5になった今そのことを聞いたことも考えたこともなかったなと思います、施設で穏やかに過ごしている義母ですが「本当はどうしたかったのかな」と思うこともありますが手遅れですね義母はもう自分の世界の住人になってしまったのです。
今では義母の気持ちを知ることは不可能になりました。
尊厳死の意味を知っていますか?
尊厳を守るって聞きますが、「尊く、おごそかで、犯してはならないこと。気高く威厳があること。」だそうです、検索するといろいろ出てきますとまとめるとこんな意味だと思います。
では尊厳死とはなんでしょうか
尊厳死とは、自然死、あるいは平穏死とほぼ同義語です
すなわち、人生の最終段階において過剰な延命治療をしないもしくは中止して、自然な経過に任せた先にある死のことを指します
重要なポイントは、早期から十分な緩和ケアを提供するという点です決して“何もしないこと=尊厳死”ではありません。
*延命治療:延命を目的とした治療。人工呼吸器や胃ろうの設置、点滴など。
そして安楽死と言う言葉も時々聞きますが
安楽死とは何でしょうか
安楽死には、積極的安楽死、消極的安楽死(一般的に“尊厳死”と同義とされる)
医師による自殺幇助(直接的安楽死、間接的安楽死)など、いくつかの概念があります
安楽死とは、自分自身で実行できない状態において行為の主体として他人が関与し、身体的侵害によって死をもたらすことです
このうち、積極的安楽死とは本人の命を終わらせる目的で「薬物を投与すること」を指します
一方、消極的安楽死とは同様の目的で“薬物を投与しないこと”を指します
たとえば、植物状態(大脳は機能しなくなったものの視床下部と脳幹は機能し続けている状態)の患者さんに対して
本人の意思に基づき、致死量の鎮痛剤を投与するのは積極的安楽死で
延命治療をせずに自然に死を迎えるのが消極的安楽死(尊厳死)です
たとえば、処方された薬や毒物、そのほかの行為によって自ら命を断つことは自殺ということになります
医師が注射を打つなどして死に至った場合には直接的安楽死となり本人が薬を飲んだ場合などは間接的安楽死となります
日本において、自殺ほう助は倫理的・法的に許容されていません
日本では1960年代までは“尊厳死”が当たり前でした、すなわち、ほとんどの方が自宅で最期を迎えていたのです
しかし1976年に、自宅で亡くなる人と病院・診療所で亡くなる人の割合が逆転しました医学の発展とともにさまざまな延命治療が可能になり終末期というものが少なくなってきました
患者は医学の進化とともに意志とは関係なく生かされるようになりました
1980年代には、末期がんの患者さんに対しても人工呼吸器をつけていました
このようにして、かつては当たり前だった尊厳死が
徐々に珍しいものへと変わっていったのですただ、在宅医療の現場では尊厳死が実現できているケースも多くあります
令和の時代になっても尊厳死に関しては、同じ医療でありながら病院医療と在宅医療で大きな差が生じている状況だと聞きます
夫の祖父・祖母は親戚に医師がいたので在宅介護で看取りました往診で点滴をし、様子を見ながらの死でし
私はあれが尊厳死だったのではないかと思います
高齢者に無理な延命治療をせずに自然に亡くなられる過程を見守るケアをするのが看取りです
私の父は2011年1月21日に亡くなりました、介護度が進みあの頃は要介護いくつかも知りませんでしたが介護老人保健施設(老健)に入所してからも血液検査はしていたのでしょうね、ある日CTの造影検査をしますか?と主治医から聞かれ私は「先生のお父さんだったらどうしますか?」と聞いたことがあります。
主治医は「僕はしませんね」ってお答えになりました、私も同じ気持ちでした正直に答えてくれた先生に感謝しました。
治療に治療を重ね、パーキンソン認知症になり言葉も話せなくなっている父にこれ以上辛い思いはさせたくないと思ったのでした。
でも父はどうだったんでしょうね、父は最後は誤嚥性窒息死でした。誰にに取られることなく1人で逝ってしまいました。
義父も同じ年の4月に不整脈からくる心筋梗塞で逝っていまいました、こちらも家で1人でいる時に逝ってしまいました。
大腸がんなどで手術をした義父ですが人工肛門をつけていましたが、最後は心筋梗塞で逝っていまいました。
2人の父・義父が亡くなり、義母は今や認知症で自分の世界の住人になってしまい実家の母はことあるごとに言っています
「延命治療は要らない、お葬式は家族葬でいいから」とだったらエンディングノートを書いてい置いてねというと、ノートに書いてると言いますがそのノートはどこにあるのやら・・・
2人の父・義父の尊厳を守れたかどうかはわかりません、そしてこの亡くなり方が尊厳死だったかどうかもわかりません
義母に対し尊厳死という方向を施設の方やケアマネジャーさんに伝えています。
問題は母ですね、言葉と本音が違う人です本当にどうしたいのかを元気な今きちんと聞いておかねばと思います。
元気といえども悪性リンパ腫の病名はついています、毎月の診察と血液検査、4月にはペット検査も受けます。
この先どうなるのか分かりませんが、母の気持ちに沿うように母の尊厳死を守りたいと思っています
*上記の資料その他は数年間に書き続けたブログ内から書いています
まとめ
回復の見込みがなく、死期が間近に迫った終末期にある患者さんにとって、延命治療は必ずしも望ましいものではないと考える方もいらっしゃるでしょう。
尊厳死とは、患者本人の意思により延命措置をやめ、人間としての尊厳を保ったまま、または保つために死に臨むことです。
現在の医療では、治る見込みがない末期がんの患者でも、延命治療が行われます。なかには、過剰な延命治療が行われることもあります。
治療を受けても治らない状態が続くことは、患者本人のみならず、家族への精神的・金銭的負担が大きくなる問題もあります。
治らないのに治療を続けなければいけない状況は、患者本人への精神的負担が大きいものです。
ただ苦痛なだけの延命治療を続けて生きながらえるよりも、自分らしいままで死を迎えるために延命治療をやめることは、その人の尊厳を守る目的が第一ですが、同時に本人の希望を尊重しつつ、家族への負担も軽減できる方法なのです。
今の時代は緩和ケアと言う方法もあります
WHO(世界保健機構)は緩和ケアを次のように定義しています。(2002年)
「緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題に関してきちんとした評価をおこない、それが障害とならないように予防したり対処したりすることで、クオリティー・オブ・ライフを改善するためのアプローチである。」
ご家族で尊厳死ということについて話し合い、ご本人の意向になるべく沿うようにして最後を看取ることが大切ではないでしょうか